ゴミ拾いをしていて、心が折れた話
「また捨てられてる…」
週末の朝、ゴミ袋を手に町内を歩いていると、決まってこの言葉が出てくる。先週も拾ったはずの場所に、また新しいゴミが散乱している。
この清掃活動を始めたのは2021年7月、地域の方の一言がきっかけだった。「自然からもらってばかりで、何もお返しできていない」。その想いに共感した3〜5人のメンバーが集まって、毎週末の朝に町内を歩くようになった。喜茂別川の河川敷、羊蹄山の登山口、国道沿いのビューポイント。どこもゴミが多かった。

2021年の夏、清掃活動の一場面。3つのゴミ袋と、足元に散らばるペットボトル。
そして、ある日訪れた中山峠手前の駐車ポイントで、全員の心がポキポキと折れた。
長距離トラックの休憩・仮眠スポットになっているこの場所。ゴミだけじゃなく、排泄物まであった。しかも、地元の建設会社がすでに週1回の清掃をしてくれているにもかかわらず、数日後にはまた元通りになってしまうという。
「いたちごっこで手に負えない」という建設会社の方の言葉が、ずっと頭に残った。
↑ 2021年7月11日、note を書く前日に現地で撮影した動画(3:09〜)。長距離トラックの休憩・仮眠スポットになっているこの場所の、当時のリアルな様子。
ただゴミを拾い続けることに、意味はあるのか。そう感じた瞬間から、僕はこの課題を「構造」として見るようになった。
「ゴミが捨てられる」は症状であって、課題じゃない
プロダクト開発でよく言われることがある。ユーザーが報告する問題は、症状であって原因ではない、と。
「ゴミが捨てられる」という事実も同じだ。これは症状であって、解くべき課題ではない。
課題を正しく定義するために、まず「なぜゴミを捨てるのか」を分解してみる。
① 捨てる場所がない 休憩スポットに、ゴミ箱がない。長距離ドライバーが何時間も車内にゴミを置いておくのは、現実的に難しい。捨てる場所がないから、捨ててしまう。これは環境設計の問題だ。
② 捨てても「見られない」という心理 人目がない場所では、人は普段しない行動をとりやすい。行動経済学でいう「社会的証明」が機能しない状況だ。誰も見ていないから、捨ててしまう。
③ 捨てることのコストが低すぎる ゴミを捨てても、何も起きない。罰則もなく、恥ずかしさもない。一方でゴミを持ち続けるコスト(場所・臭い・手間)は確実にある。合理的に考えると、捨てた方が「得」になってしまっている。
④ 「誰かが掃除してくれる」という前提 定期的に清掃されていると、捨てる側は無意識に「また誰かが拾うだろう」と思ってしまう。清掃活動が、逆に捨てることへのハードルを下げている可能性がある。
整理すると、この課題は環境設計・心理・インセンティブ設計の3層が絡み合っている。「ゴミを捨てるな」というメッセージだけでは、何も変わらない理由がここにある。
課題の構造を図にすると、こうなる
【症状】ゴミが捨てられ続ける
↑
【構造】
環境設計 → 捨てる場所がない(ゴミ箱・トイレの不在)
心理 → 見られていない(社会的証明の欠如)
インセンティブ → 捨てるコストが低く、持つコストが高い
前提 → 「誰かが清掃する」という依存
この構造で見ると、打ち手の方向性が変わってくる。
「ゴミを捨てるな」という禁止アプローチではなく、環境・心理・インセンティブのいずれかを変えるアプローチが有効だ、とわかる。
地域でアイデアが出た。そのひとつひとつを検証する
清掃活動のメンバーとのグループチャットで、いろんなアイデアが飛び出した。
地域通貨でゴミ拾いにインセンティブを 「ゴミを拾う、指定の場所に捨てる、ということで地域で使えるポイントがもらえたら、参加したくなるのでは」というアイデア。インセンティブ設計のアプローチだ。捨てる側ではなく拾う側を動かす逆転の発想が面白い。
「投票型」の看板でゴミ捨てを抑制 イギリスのNPO「Hubbub」が実施した事例で、タバコの吸い殻を「どっちが好き?」という投票箱に捨てさせるというもの。禁止するのではなく、捨てること自体をゲームにしてしまう。心理的アプローチだ。
トイレを設置して、有効活用する 排泄物の問題に対しては「そもそもトイレを作った方が清掃コストより安い」という現実的な意見も出た。さらに「排泄物を肥料として活用するプチ農園」というアイデアまで発展した。環境設計のアプローチであり、しかもネガティブな問題をポジティブなリソースに転換する発想がある。
これらはどれも「ゴミを捨てるな」という禁止ではなく、環境・心理・インセンティブのどこかを変えようとするアプローチだ。課題の構造を正しく捉えると、自然とこういう発想が出てくる。
当時の僕は、「アイデアが出ること」自体を大事にしていた
ここで一度、当時の僕の頭の中を書いておきたい。
この清掃活動の頃の僕は、正直に言うと、課題を解くことよりも、地域の人と一緒に向き合うことの方を重く見ていた。
「ゴミ問題を技術や仕組みで解決する」というよりも、「ゴミ問題をきっかけに、地域の人たちが集まって、一緒に話してみる」こと自体に意味があると思っていた。アイデアを出し合うために何かしらの理由で集まる、その時間そのものが、地域の力になる、と。
実際、グループチャットで出たアイデアの多くは、その後実装まで進まなかった。地域通貨は構想で止まり、投票型看板も提案止まり、トイレ設置は議論のなかで消えた。
でも、当時の僕の感覚としては、それはそれでよかった。
「みんなで地域と向き合ってみる」「アイデアを出すために集まる」、それが目的のひとつになっていたから。
…そして、いま振り返ってみても、あの動き方は間違っていなかったと思う。地域で何かを始める時、いきなり「プロトを作って検証しよう」と言っても、たぶん誰も乗ってこない。まず集まる理由を作ること、まず話してみること。そこから始めるのが、地域では正しい順番だった。
ただ、いま僕が新しく持っているのは、「集まって話す」のその先に、もう一段あってもいいんじゃないか、という視点だ。
集まって話す → 構造で課題を捉え直す → 仮説を立てる → プロトを作って試す → 学んで戻ってくる。
このサイクルを地域でも回せるかもしれない、と、いまは考えるようになった。
プロダクト思考で地域課題を見るということ
ここまで読んで、「ゴミ問題にプロダクト思考って大げさじゃない?」と思った人もいるかもしれない。
でも、僕はそうは思わない。
プロダクト思考の本質は、課題を正しく定義してから解くということだ。症状を見て感情的に反応するのではなく、構造を理解してから打ち手を考える。それは、地域課題でも、アプリ開発でも、本質的には同じだ。
「いくら綺麗にしてもゴミは捨てられる」という事実に直面したとき、「捨てる人が悪い」で終わるのか、「なぜ捨てられるのか」を構造で考えるのかで、その後のアクションが全然変わってくる。
地域の人たちとのチャットで自然と出てきたアイデアの数々は、課題の構造を正しく捉えていたからこそ、的を射たものが多かった。専門知識がなくても、問いの立て方が変わると、思考の質が変わる。
じゃあ、次は何をする?
課題の構造はわかった。アイデアも出た。でも、まだ検証できていない。
このメディアでは、次のステップとして実際にプロトタイプを作って試してみるプロセスを記録していく予定だ。地域通貨の仕組みをどう設計するか。看板のデザインをどう変えるか。小さく試して、学んで、また考える。
課題が解けたかどうかは、やってみないとわからない。
もし「自分の地域でも似たような課題がある」「こんなアイデアどう思う?」という方がいれば、ぜひ話しましょう。課題の構造を一緒に考えることから始められると思っています。
このメディアは「地域課題はプロダクト思考で解ける」という仮説を、実践を通じて検証していくメディアです。
この記事について
この記事は、過去の僕が書いた note を元にリライトしています。
- いくら綺麗にしてもゴミは捨てられる、を解いてみる(2021/7/12)